たとえ、死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。
あなたがともにおられますから。詩篇23:6
今日、9月11日は私の誕生日です。子供の頃、秋は大好きな季節でした。暑さから解放され、美味しい果物や、落ち着いた色の服や、大好きな金木犀の香りが町に溢れる秋、黄金色に染まる山、私はそんな美しい季節に生まれました。そして9月11日には私にとって様々な人生の転機が起きました。
結婚のために日本を離れ、アメリカに移民したのがその日でした。私を産んでくれた母は、その日、娘を失うような気持ちで見送ってくれたと思います。私はその日、日本での父母に守られた暖かな生活を失いました。
結婚して6年目の誕生日の朝、2001年の9月11日、私たちは悪夢の中へと目覚めました。同時多発テロでNYが攻撃された時のアメリカでの恐怖はまさに死の陰を歩むような経験でした。私はその日、安全で生きられる世の中への信頼を失いました。
その5年後の2006年の9月11日。私は母と地上での最後の会話をしました。既に病気が進行していた日本にいる母にアメリカから電話をしたのが最後の会話になりました。その時に何を話したか、産んでもらったことにお礼が言えたのかも思い出せません。 私はその日、電話の向こうで待っていてくれる、何でも話せるベストフレンドを失いました。
何故、いつからか秋が苦手になったのか。失ったものや、死の陰のようなものが秋の思い出にはついてまわるようになってしまいました。母が好きだった金木犀の香りを嗅ぐと涙が出るようになりました。
皆さんにもそのような季節や、場所や、出来事があるかもしれません。
私は大病も、戦争や大きな事件に直接まだ巻き込まれたこともありません。けれども人間は何処かで何かの形で死を意識して人生を歩んでいると思います。誕生日そのものも(子供は別として)自分が死に向かって進んでいることのリマインダーです。
けれども私たちが今年降りかかって来るだろう禍を恐れず、前に進んでいかれるのは、主(神様)が共にいて下さるからなのだと。そして未来を知らないことは、神様からの恵みなのだと。次のお誕生日に何が起きているかなど知らなくていいことは何と幸いなことで
しょう。
知らなくていけないは神様が共にいて下さるという変わらない事実。それだけでいい。
それだけがあれば私の秋は死の陰の谷から平安の黄金色の谷へと変わるのだと思います。
