自己紹介

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聖書と神様が大好きなクリスチャン。 日本生まれのアメリカ人の主人との間に与えられた4人の子供たちと一緒に日本へ宣教師として移住してしばらく立ちました。子供達は成長し、アメリカへ巣立っていきます。 ミュージックガーテンという幼児音楽教育の働きや、聖書をおしえること、そしてガーデニングに夢中です。

2020年12月19日土曜日

ーインマヌエルー 小さなクリスマス音楽会




小さなクリスマスの音楽会を恵みの家で開きました。コロナ禍の中で、開催を迷いながら。でも小さくても良いから開こう。それでも近所の方はどう思うのかな?と迷いながら。

この季節、ネット上では数え切れないほどのバーチャルのコンサートが行われ、音楽は溢れている。なのにどうしてあえて誰も来ないかもしれない音楽会を開くのか?

当日の朝まで悩んでいました。音楽家の方達にも申し訳なくて。


リハーサルが始まり、その思いが一挙に吹き飛びました。こんなに素晴らしい音が聞ける。なんという恵みなんだろう!

時間になると障害を持ったお子さんとそのお母様が目を輝かせて来てくださいました。

子供達は奥の部屋で静かに絵を描きながら音楽に耳を傾け、お母さんは一度も席を立つことなく演奏を聴くことができました。お母さんは、最初から最後まで涙が止まらなかったと。

夕方の大人の会でも、勇気を出して聞きに来てくださった方達が一曲目から涙が出て来たと。 演奏家の方も、それは前から全て見えていました、と。


この小さな音楽会はこの世界に小さな赤ちゃんとして来れられたイエス様を讃えていました。 イエス様の別の呼び名はインマヌエルー神が共におられるーといいます。

聖書の神様は遠い高い安全なところからそのメッセージを発信したのではなく、病に満ちた危険な世界に死を覚悟して来られたました。だからインマヌエルの神なのです。

リモートやバーチャルな世界が広がり。バーチャルが現実で実際に人に会うことが夢の中のように思えるような今年のクリスマス。だからこそ、目の前で魂がこもった演奏を聴くことの感動。伝わってくる力。それはやはり録画では伝わらないのです。


インマヌエルであるイエス様を私たちは今までになく必要としている。 肉体を持って私たちの友となったイエス様が時を超えて私たちと一緒にいてくださる。それを実感するには、伝えるには、知恵と勇気を持って人々の中に生き、自分を必要としている人のために捧げること。勇気ある音楽家の演奏を涙を持って聞きながら思ったのでした。






2020年12月1日火曜日

アドベント 待降節のみ言葉

 アドベントカレンダーは12月1日から始まります。これから24日間、毎日とは行かなくてもできるだけ、クリスマスに関する聖書の言葉をあげて短いコメントを書こうと思います。



Day 1

待降節のみ言葉 主なる神の約束

あなたはどこにいるのか。神はそのように私たちに語りかけます。

アダムとエバが主なる神に信頼できずに禁じららた実を食べて恐ろしくなり神様から隠れることになった場面。キリストの誕生と人間の罪、神との断絶は大きな関係があります。クリスマスの箇所として読まれることは少ないのですが、最後の一文は聖書で初めてキリストのことが語られた大切な部分です。


創世記3;9−15

神である主は、人に呼びかけ、彼に言われた。「あなたはどこにいるのか。」彼は言った。「私は、あなたの足音を園の中で聞いたので、自分が裸であるのを恐れて、身を隠しています。」主は言われた。「あなたが裸であることを、誰があなたに告げたのか。あなたは、食べてはならない、と私が命じた木から食べたのか。」人は言った。「私のそばにいるようにとあなたが与えて下さったこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」

神である主は女に言われた。「あなたは何ということをしたのか。」女は言った。「蛇が私を惑わしたのです。それで私はたべました。」

神である主は蛇に言われた。「おまえは、このようなことしたので、どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりも呪われる。おまえは腹ばいで動き回り、一生、ちりを食べることになる。 わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。

彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。


2020年10月6日火曜日

金木犀

 

もう12年も昔のこと。2歳になったばかりの娘を抱えて、20時間を超える旅の果てに、車から降り立ちました。 その途端に漂ってきた大好きな香り。日本から離れて長かった私が忘れかけていた金木犀の香りでした。 

私が降り立ったのは懐かしい我が家の玄関ではなく、大きな病院の入り口。

いつも泣き出しそうなぐらいに喜んで玄関に飛んできてくれる母の姿はなく、私は病院のエレベーターを昇って母の側にたどり着きました。

あの時の母の思いはどんなものだったのでしょう。天国に行く前に、ようやく会えた一人娘を迎えるのはどのような気持ちなのでしょう。瀕死の中から、使いなさいとお金を握らせてくれた親心。いつもの、私を甘やかす時のあの優しい笑顔で。 


2歳の娘をあやすために外に出ると、母の大好きな金木犀の香り。10月の初旬の日本を包む優しい香り。長女を死産した翌年の9月に私は生まれました。もしかしたらこの香りは母にとって新しい命の希望だったのかもしレません。


この花を母の枕元に持っていこう! でも、すぐにはどこに咲いているのか見つかりません。

あれだけ強い香りを放つのに、その花は小さくて慎ましく、見過ごしてしまうのです。 手を伸ばし、切り取ろうとしても、その枝は柔らかいのに、どうしても離れてくれません。

それはまさに母のようでした、 彼女はとても内気で、いつも人の影にひっそりと優しく立っていました。でもその笑顔はとても暖かく、人を惹きつけずにはいられませんでした。良い聞き手で、自分の意見も主張しません。けれども彼女から流れるキリストの香りを無視することはできませんでした。

彼女はキリストを救い主として信じてからは、キリストにしがみつき、生涯、病も、貧しさもどんな試練も母からそのお方を取り去ることはできませんでした。そして天国への希望と優しい香りを私たちに残して 美しい秋の日に、イエス様のもとへと帰っていきました。


恵みの家を建てた後、若い金木犀を買いました。まだ弱々しいこの木が、良い香りを放つためにはまだ少し時間が必要なようです。 私が天国に行く頃には、誰もが立ち止まるキリストの香りを放つ大木に成長しているのでしょいうか。私も母のように天国の希望を多くの人に残すことができるようになっているでしょうか・・


2020年9月10日木曜日

たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。詩篇23篇パート6

 たとえ、死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。

あなたがともにおられますから。詩篇23:6





今日、9月11日は私の誕生日です。子供の頃、秋は大好きな季節でした。暑さから解放され、美味しい果物や、落ち着いた色の服や、大好きな金木犀の香りが町に溢れる秋、黄金色に染まる山、私はそんな美しい季節に生まれました。そして9月11日には私にとって様々な人生の転機が起きました。 


結婚のために日本を離れ、アメリカに移民したのがその日でした。私を産んでくれた母は、その日、娘を失うような気持ちで見送ってくれたと思います。私はその日、日本での父母に守られた暖かな生活を失いました。


結婚して6年目の誕生日の朝、2001年の9月11日、私たちは悪夢の中へと目覚めました。同時多発テロでNYが攻撃された時のアメリカでの恐怖はまさに死の陰を歩むような経験でした。私はその日、安全で生きられる世の中への信頼を失いました。 




その5年後の2006年の9月11日。私は母と地上での最後の会話をしました。既に病気が進行していた日本にいる母にアメリカから電話をしたのが最後の会話になりました。その時に何を話したか、産んでもらったことにお礼が言えたのかも思い出せません。 私はその日、電話の向こうで待っていてくれる、何でも話せるベストフレンドを失いました。


何故、いつからか秋が苦手になったのか。失ったものや、死の陰のようなものが秋の思い出にはついてまわるようになってしまいました。母が好きだった金木犀の香りを嗅ぐと涙が出るようになりました。

皆さんにもそのような季節や、場所や、出来事があるかもしれません。


私は大病も、戦争や大きな事件に直接まだ巻き込まれたこともありません。けれども人間は何処かで何かの形で死を意識して人生を歩んでいると思います。誕生日そのものも(子供は別として)自分が死に向かって進んでいることのリマインダーです。

けれども私たちが今年降りかかって来るだろう禍を恐れず、前に進んでいかれるのは、主(神様)が共にいて下さるからなのだと。そして未来を知らないことは、神様からの恵みなのだと。次のお誕生日に何が起きているかなど知らなくていいことは何と幸いなことで

しょう。


知らなくていけないは神様が共にいて下さるという変わらない事実。それだけでいい。

それだけがあれば私の秋は死の陰の谷から平安の黄金色の谷へと変わるのだと思います。



 


2020年8月26日水曜日

主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに、私を義の道に導かれます。


クリスチャンになろう。と決心したその夜からどのように生活が変化していったのかあまりよくは覚えていません。 

けれども気がつくと、バラバラだった家族が日曜日は大学生になった兄の車に乗って一緒に教会に礼拝に行くようになっていました。

何かと眠い年頃の私が文句も言わずに毎週日曜日の朝に起きることができたのは不思議でした。 教会で教えてもらったこともほとんど覚えていません。

けれども何よりも私が日曜日に見たかったのは、回復して行く父の姿だったように思います。

怒りっぽく、家に滅多に帰ってこない、様々な面で母を裏切り、家族を借金取りに追われるような生活に導いていった父。 怪しげな新興宗教や商売繁盛のためにどこにでも節操なく手をあわせていた父が、聖書を読み、教会で牧師先生のメッセージに涙を流し、実に穏やかに変わっていったのです。父の顔に笑顔がある。それは子供として何と安心な光景なのでしょう。

気になる借金のことですが、このことをきっかけに理容の世界から整体師の世界に方向転換した父の仕事ぶりがマスコミに取り上げられたことから、ブレークして沢山の収益を上げることができました。そして数年のうちに借金は返済されたのです。神様は痛みを通す時のその痛みに報いるように回復の道を与えてくださいます。 

父の事業があのまま成功していたら、父は家族を裏切って蒸発していたかもしれません。それほど危ない橋を渡っていたことは、子供の私には知らされていませんでした。

けれども神様は大きな痛みを通して、父を救い、また私をも羊飼いなるイエス様のところに連れていってくれたのです。

日曜日、眠たい目をこすりながら、車に転がり込む私、いそいそと家族をまとめる母、そして聖書を抱えた父の姿。義の道に導かれていった私たちは何と幸せな家族だったのでしょう。





 


 

2020年8月19日水曜日

主は私を緑の牧場に伏させいこいのみぎわに伴われます。詩篇23 Part 3

 

私の父は長野の安曇野のという緑と水が美しい地に生まれましたが、早くに父を無くし、沢山の苦労をして東京に新天地を求めてやってきました。満足に学校にも行けなかった父でしたが下町に土地を買って人を使い、やがて事業を拡張してサクセスストーリーを歩んでいました。


母はというと、都会が嫌いでいつも緑豊かな場所を求めては私を連れ出してくれました。そんな影響なのか、私の夢は牧場に住むことでした。


父が億単位の借金を負った時、私は現実から逃げる為に皮肉にも父が捨てた故郷のような世界を想像し、牧場で牛や羊と共に暮らすことを考えていました。 

もやもやする不安の毎日、誰か私を牧草の沢山ある、飲み水があって乾くことのない牧場に連れていってくれないだろうか。何故父はあんなに美しい生活を捨て、こんなところに連れてきたのか? 私の両親は生活に必死、私の友人には恥ずかしくてそのような気持ちは話せませんでした。



長い一年が過ぎた頃、私はある聖書の言葉に出会います。

 

”イエスは彼らに言われた。私が道であり、真理であり、命なのです。

私を通してでなければ、だれも父(神)のみもとに行くことができません。”(ヨハネ14;6)



小さな頃から教会学校に行ってはいたけれど、

いつもぼんやりしていた私の心の目が一挙に覚めたように思いました。 

神様こそが私の牧場で、水のほとりで、そこに行けば休むことができる。

返しようのない借金とか、生活の不安とか、そこでは心配しなくていい。

そこに連れて行ってくれるのは羊飼いであるイエス様なんだ。寒い寒い空の下、

神様ご自身に背中を押されたように、私はイエス様について行く決心をしたことを伝えるために長い階段を一人で下りて行きました。


1980年のビリーグラハムクルセードの夜でした。


そんな訳でクリスチャンになった私ですが、やがてそのことがきっかけで本当に緑が豊かな広大な北国、米国ミネソタ州に行くことになり、そこで結婚するとはその時は誰にも想像できなかったと思います。







 


2020年8月18日火曜日

私は乏しいことがありません。詩篇23 part2

 

13歳の夏から時を飛び越え、4人の子供の母となってアメリカに住んでいた時のお話です。その時もお金はあまりありませんでした。服はリサイクルショップで買い、家の半分は収入のために人に貸し、スーパーマーケットに行くときは、政府が貧しい家に出してくれるミルクや必要最低限の食料品と引き換えてくれるクーポンを握りしめて買い物に行きました。そしてドーナッツを一つだけ買うのが習慣でした。

そのドーナッツを6等分して子供達と食べる時が最高の贅沢?でした。 

私が結婚したグレッグさんは、日本で宣教師の子供として生まれた、優しい働き者のエンジニアでした。40歳を過ぎた頃、日本に宣教師として戻る一大決心をして、神学校に通い始めました。

その時の子供の年齢、5歳、2歳、0歳。

子供達の為に外で働かないと決心した妻一人。

収入無し。(在学中もう一人増えます。)

ところが意外なことに、その状況でも結構ハッピーに生きていけるものなのです。

子供達がハッピーであるのに何が必要なのか発見したものをあげてみます。

 

 *安心して眠れる居場所

 *両親の笑顔

 *心のこもったご飯

 *自由に動き回れるスペース

 *遊び仲間

 *新しい発見


どれもそんなにお金がかかるものではないのです。

アメリカの基準では、考えらないような小さなスペースでくっつきながら暮らした古い家、小さな裏庭での思い出を懐かしんでは、子供達は帰りたい帰りたいと言います。

お父さんもお母さんも働いていないのに食べ物が十分あるし、旅行にも行ける(宣教団とのインタビューやトレイニングの為の旅行でしたが)自分たちはすごいお金持ちだと思っていたようです。その通り、私たちを養ってくださる羊飼いは世界を造られた神様ですから。

羊飼いに手を引かれる生活は、不思議なことに、お金がない時の方がその手の温かさや強さをはっきりと感じ、家族の心も近くなって、笑いがあふれるのです。

楽しかった! それは私の言葉ではなく、子供達の言葉。

羊飼いとの生活は貧しいことはあっても、乏しいことは一度もありませんでした。



 



 


2020年8月14日金曜日

主は私の羊飼い 詩篇23part1


私は羊飼いと暮らしています。いつから羊飼いと暮らし始めたか、それは多分生まれる前からのでしょうが、はっきりと意識したのは、13歳の夏からでした。

ここで言う羊飼いとはイエス様で、私は羊。そう考えるようになったのは、その夏に起きたある出来事に関係しています。 


羊は羊飼いに頼らなければ、食べ物も、安全も確保できません。。でもその夏までは、

この羊飼いの存在なんて私はどうでも良かったのです。私の両親は十分に私を食べさせてくれたし、大きな家に住み、お嬢様学校に通う私に羊飼いなんて必要でしょうか。羊飼いさんは、壁にかかった絵か、時々開く聖書の中にいてくれるのがちょうど良い感じでした。だいたい私は自分が羊だなんて思ってもいませんでしたから。


あの中学2年生の夕方、夏季学校から帰ると、暗いキッチンの部屋で母が泣いていて、いつもは仕事で家にいない父が下を向いていました。後から思うとその時が私が子供時代に幕を閉じた瞬間でした。父は「明日から食べることも難しくなる」とポツリと言いました。


父は長野の田舎から出てきて、事業を起こし、美容の世界でいくつかのお店を持っていました。けれども人をすぐに信用するお人好しで、夜逃げした友人の借金を訳あってまるごとしょいこんでしまったというのです。一億円の借金。両親は放心状態です。

私は生まれて初めて、親ではなく誰か別の存在に助けを求める経験をしたのです。

”明日食べるものをください”” 自分がただの貧しい羊であることを思い出した私は、すっかり忘れていた羊飼いに初めてそのように語りかけたのでした。




 


2020年8月12日水曜日

キッチンテーブル

”キッチンを家の真ん中の、南側に置きたいんです” 私がそう言うと、建築家のマルタさんの丸い眼鏡の奥が一層丸くなったような気がしました。料理家でもない私が新築の家のキッチンの場所をそのようにお願いしたのは、直感に近いものでした。



私の育った家の台所は北側の奥まったところにあって、そこは母の城でしたが、日は当たらず、お客様を入れてはいけない裏舞台でした。けれどもそこは、家族が家に帰れば真っ先に顔を出し、また夜遅くまで喋りながら過ごし、時にはそこで眠てしまうような場所でした。 そこは家庭の中心であり、笑いも、大切な決断も、悔し涙もそこから流れていった場所でした。 でもそこは窓も少ない暗い部屋でした。


結婚して、アメリカに住み始めた時、多くのアメリカの家庭の台所が庭を臨む、明るい場所にあり、特にキッチンウインドウの位置にとてもこだわりを持っている家が多いことに気づきました。私が住んでいたミネソタ州は北部の州で冬が長く、日差しを家に取り込む工夫が沢山されていますが、キッチンに窓があることは、短い夏の花を楽しみ、雪の美しさを楽しむ意味でもとても大切なポイントなのかもしれません。

多くの家の台所にはダイニングルームとは別の朝ごはん用や家族用の小さなキッチンテーブルがあり、実はそこが家族が一番よってきては時間を過ごす大切な場所でした。


教会を兼ねた集会スペースを自宅の一階に作ることになった時、私の心の深い部分に、キッチンは家の中心!教会の中心!と言う想いが潜んでいたようなのです。

私たちは家の教会というコンセプトで教会を一から建てあげるということを仕事としています。教会と言えば、綺麗な格好をして、ベストな顔を作ってそれでも恐れ多くて入れないというような場所を想像されるかもしれません。けれども、聖書を実際に読めば、歴史で最初に建てられた教会とは、家に集まることであり、あるがままの姿で集まってきた人たちがよく食事を共にし、笑いと楽しみと、時には共にに涙する、キッチンテーブルのような場所であったことが分かります。食事の場面は実は聖書に沢山出てきます。ですから私たちは、そのような場所でこそ、私たちが本当に必要としている心の安らぎも、力も溢れてくると本気で思っています。ですから恵みの家と呼ばれる、この家の教会に足を踏み入れると、まずそこにはキッチンテーブルが、そして大きく取られたキッチンウインドーが目に飛び込んでくるのです。



 


ーインマヌエルー 小さなクリスマス音楽会

小さなクリスマスの音楽会を恵みの家で開きました。コロナ禍の中で、開催を迷いながら。でも小さくても良いから開こう。それでも近所の方はどう思うのかな?と迷いながら。 この季節、ネット上では数え切れないほどのバーチャルのコンサートが行われ、音楽は溢れている。なのにどうしてあえて誰も来な...