”キッチンを家の真ん中の、南側に置きたいんです” 私がそう言うと、建築家のマルタさんの丸い眼鏡の奥が一層丸くなったような気がしました。料理家でもない私が新築の家のキッチンの場所をそのようにお願いしたのは、直感に近いものでした。
私の育った家の台所は北側の奥まったところにあって、そこは母の城でしたが、日は当たらず、お客様を入れてはいけない裏舞台でした。けれどもそこは、家族が家に帰れば真っ先に顔を出し、また夜遅くまで喋りながら過ごし、時にはそこで眠てしまうような場所でした。 そこは家庭の中心であり、笑いも、大切な決断も、悔し涙もそこから流れていった場所でした。 でもそこは窓も少ない暗い部屋でした。
結婚して、アメリカに住み始めた時、多くのアメリカの家庭の台所が庭を臨む、明るい場所にあり、特にキッチンウインドウの位置にとてもこだわりを持っている家が多いことに気づきました。私が住んでいたミネソタ州は北部の州で冬が長く、日差しを家に取り込む工夫が沢山されていますが、キッチンに窓があることは、短い夏の花を楽しみ、雪の美しさを楽しむ意味でもとても大切なポイントなのかもしれません。
多くの家の台所にはダイニングルームとは別の朝ごはん用や家族用の小さなキッチンテーブルがあり、実はそこが家族が一番よってきては時間を過ごす大切な場所でした。
教会を兼ねた集会スペースを自宅の一階に作ることになった時、私の心の深い部分に、キッチンは家の中心!教会の中心!と言う想いが潜んでいたようなのです。
私たちは家の教会というコンセプトで教会を一から建てあげるということを仕事としています。教会と言えば、綺麗な格好をして、ベストな顔を作ってそれでも恐れ多くて入れないというような場所を想像されるかもしれません。けれども、聖書を実際に読めば、歴史で最初に建てられた教会とは、家に集まることであり、あるがままの姿で集まってきた人たちがよく食事を共にし、笑いと楽しみと、時には共にに涙する、キッチンテーブルのような場所であったことが分かります。食事の場面は実は聖書に沢山出てきます。ですから私たちは、そのような場所でこそ、私たちが本当に必要としている心の安らぎも、力も溢れてくると本気で思っています。ですから恵みの家と呼ばれる、この家の教会に足を踏み入れると、まずそこにはキッチンテーブルが、そして大きく取られたキッチンウインドーが目に飛び込んでくるのです。
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