クリスチャンになろう。と決心したその夜からどのように生活が変化していったのかあまりよくは覚えていません。
けれども気がつくと、バラバラだった家族が日曜日は大学生になった兄の車に乗って一緒に教会に礼拝に行くようになっていました。
何かと眠い年頃の私が文句も言わずに毎週日曜日の朝に起きることができたのは不思議でした。 教会で教えてもらったこともほとんど覚えていません。
けれども何よりも私が日曜日に見たかったのは、回復して行く父の姿だったように思います。
怒りっぽく、家に滅多に帰ってこない、様々な面で母を裏切り、家族を借金取りに追われるような生活に導いていった父。 怪しげな新興宗教や商売繁盛のためにどこにでも節操なく手をあわせていた父が、聖書を読み、教会で牧師先生のメッセージに涙を流し、実に穏やかに変わっていったのです。父の顔に笑顔がある。それは子供として何と安心な光景なのでしょう。
気になる借金のことですが、このことをきっかけに理容の世界から整体師の世界に方向転換した父の仕事ぶりがマスコミに取り上げられたことから、ブレークして沢山の収益を上げることができました。そして数年のうちに借金は返済されたのです。神様は痛みを通す時のその痛みに報いるように回復の道を与えてくださいます。
父の事業があのまま成功していたら、父は家族を裏切って蒸発していたかもしれません。それほど危ない橋を渡っていたことは、子供の私には知らされていませんでした。
けれども神様は大きな痛みを通して、父を救い、また私をも羊飼いなるイエス様のところに連れていってくれたのです。
日曜日、眠たい目をこすりながら、車に転がり込む私、いそいそと家族をまとめる母、そして聖書を抱えた父の姿。義の道に導かれていった私たちは何と幸せな家族だったのでしょう。
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